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今日は9時から NHKに言いたい が放送されます。 時間がある方は見て見るとおもしろいかも知れません。 ちょっと書いてみる。 相も変わらず、受信料不払いに興味を持ち続けていたりします。 で、色々読んでて思ったのが、公共放送ってなんだ? ってな疑問だったりします。 公共放送ってなんでしょう。NHKってなんでしょう。むぅ。 色々なとこで色々な文を読みましたが今一理解できていない模様です。私。 ええと、民間放送(商業放送)と異なる点として考えた場合に 民間放送の収益源がコマーシャルで NHKの収益源が受信料 ってのはまあ、私でもわかりました。 で、民間放送の場合、その収益源からCMによる広告効果が重要になり その広告効果をはかる指標として視聴率を重視する。 スポンサーだって誰も見てない番組に高いお金を払って広告を放送したくないだろうし。 なので、どうしても視聴率重視の番組作りにならざるを得ない。 でないと、スポンサーから広告宣伝費用としてお金が入ってこないから。 と、番組を継続して放送できなくなるだろうし。 と、視聴率のとれる番組に挿げ替えるわけだあね。 んで、NHKの場合、収益源は視聴者が払ってくれるので 別段広告を放送する必要は無し。 現在の処、(受信料不払いの件は置いといて)放送法第32条により テレビを見ている人は例えNHKを視聴していなくても受信料を払う義務がある為、 NHKとしては視聴率を気にすることなく、番組制作を行える・・・はず。 うん、まあ、これもわかる。 つまり、営利目的かそうでないか。 そうでないのが公共放送・・・と。 もうちょっとNHKについて。今度は放送法を見てみよう。 と、広告についてこんなのが書かれていたりする。 (広告放送等の禁止)第46条 協会は、他人の営業に関する広告の放送をしてはならない。 2 前項の規定は、放送番組編集上必要であつて、 且つ、他人の営業に関する広告のためにするものでないと認められる場合において、 著作者又は営業者の氏名又は名称等を放送することを妨げるものではない。 3 前2項の規定は、協会が委託国内放送業務又は 委託協会国際放送業務を行う場合に準用する。 この場合において、第1項中「放送」とあるのは「放送の委託」と、 前項中「名称等を放送する」とあるのは 「名称等の放送を委託して行わせる」と読み替えるものとする。 放送法 第2章 日本放送協会より なるほど。法律で広告が禁止されてるのか。 ん?ここでちょっと疑問。だと、 視聴率を気にすることなく受信料の徴収を行えるので広告の放送が駄目なのか 広告の放送が駄目だから視聴率を気にすることなく受信料を徴収できるのか どっちだろう。 受信料の徴収を行いたいからNHKは広告の放送を禁止したのか。 NHKは広告の放送が禁止されてるから受信料の徴収を行っているのか。 そこで、テレビの歴史を検索してみた。 ~テレビの歴史~ 財団法人名古屋ケーブルビジョンHPより どうやらNHKは日本初のテレビ局の模様。 放送法の施行が1950年であることから考えるに 理由は前者なんじゃなかろうかと個人的には思うわけであります。 ・・・平成10年に改正されてる模様ですが、どう改正されてるかわからないので 改正無視で書いてきますけども、 放送法の施行前に実験放送を行っていたようですね。 まあ、実際の受信料徴収は本放送がはじまった1953年からみたいですけども。 とはいえ、それまではラジオ受信料を徴収してたみたいですね。 これも放送法の施行後からみたいです。 これは1968年に撤廃になっているみたいですが。 ワシは年齢からしてよう知らんのだけど、 当時(ラジオ受信料徴収時代)CMってあったのだろうか。NHK。 やっぱ無かったんだろうか。他局ではあったみたいだけども。 民放テレビの開局 テレビCM史研究拠点より ・・・どうやらNHKでは無かったっぽいですね。 民放で初のラジオCMがあったとすると。 と、やはりはじめから受信料を徴収する姿勢だったってことですね。 むぅ。何故、NHKは受信料を徴収するんでせふか。広告打たずに。 NHKが受信料徴収を行える明確な理由はあるのでせふか。 だって広告は「放送しない」じゃなくて「放送したくない」でしょ。最初から。 で、代わりに受信料を徴収しているのでしょう。 なら、受信料徴収を認可できる明確な理由があるべきだと思うわけです。 法律でそうと決まっているから とかではなく。 何故に法律でそう決まっているのかと。 放送法 第7条にはこんなことが書かれてます。 (目的) 第7条 協会は、公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、 かつ、良い放送番組による国内放送を行い 又は当該放送番組を委託して放送させるとともに、 放送及びその受信の進歩発達に必要な業務を行い、 あわせて国際放送及び委託協会国際放送業務を行うことを目的とする。 (法人格) 第8条 協会は、前条の目的を達成するためにこの法律の規定に基き設立される法人とする。 ~放送法 第2章 日本放送協会より 第7条 第8条~ なんだろう。よくわからんのだけど、 「放送法 に基づき設立される法人」がNHK ってなことを言いたいのだろうか。当然第2章も含まれるよね。放送法には。 まず、法ありきで設立される法人? NHKが法律に従ってるのではなくて、法律がNHKを従わせてるのか。 ってことは第2章の法律が順守されてなければ NHKは存在しないってことになるのかな? それゆえに「設立された」ではなく「設立される」となっているのかな。 と、第2章の法律が順守されてない限りには「設立されない」わけですな。 今のNHKってどうなんだろう。例えば (受信契約及び受信料)第32条 協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、 協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。 ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送 (音声その他の音響を送る放送であつて、 テレビジョン放送及び多重放送に該当しないものをいう。) 若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、 この限りでない。 2 協会は、あらかじめ総務大臣の認可を受けた基準によるのでなければ、 前項本文の規定により契約を締結した者から徴収する受信科を免除してはならない。 《改正》平11法1603 協会は、第1項の契約の条項については、 あらかじめ総務大臣の認可を受けなければならない。 これを変更しようとするときも同様とする。 ~放送法 第2章 日本放送協会より 第32条より~ ↑これ。順守されてるかな。受信料不払い11万件突破? どっかで聞いたな。そういうの。 受信料を払いたくない気持ちはわかるし、 それが可能であるならば別にそれでも良いと思うのだけど、 何故に可能なのか、ようわからん。 現NHK ※ややこしいのでここから区別して「みくの」と呼ばわう。 が受信料不払いを容認しているから可能なのだろうけれども。 ワシが受信料不払いを容認していると決め付けてるのは 別ブログで書いてる理由ですけども、 受信料(地域)集金スタッフの一部の給与が歩合給だって点から。 何度も何度も書いてるけども納得行かないのでまた書いてみる。 だってやっぱりおかしいと思う。 放送法 第32条 が順守されるのであれば まずもって、「歩合給」にはならないのではないか。 と、ワシなんかは思ってしまう。 順守されてないから、「歩合給」になるんじゃないのか。 「歩合給」にしている時点で受信料不払いを容認しており 第32条 に反しているのではないか。 また、第32条 に反している時点で日本放送協会の意義は失われ 「みくの」は「設立されない」ことになるんじゃないか。法に従うのであれば。 と、そんな妄想をしてしまいます。 第46条も守られているかどうか疑わしいし。 そんな「みくの」が未だに日本放送協会を名乗れているところに また、受信料の徴収を未だに行えることに疑問を覚えます。 だって、 第32条が順守されてないなら、 その時点で日本放送協会ではないわけだから、 放送法 第2章 で定められている「協会」とは全く別の企業体なわけで 第32条を理由に受信料の徴収を行うことはできないはずじゃあないですか。 日本放送協会では無いわけですから。放送法、特に第2章に従っていない段階で。 結局「みくの」が受信料を徴収できるのは 「みくの」が日本放送協会であることが理由ですよね。 確かに 法律でそうときまっているから って話ですけど、 それは日本放送協会であって、 一放送局が受信料徴収して良いとは書かれていないわけですし。 ・・・まあ、子供の理屈なんですけどね。これは。 さて、ここまでで一息入れて 公共放送についてもっかい考えてみましょうか。 営利目的 → 民間放送(商業放送) 非営利目的 → 公共放送 ・・・ん? 現NHKは公共放送? ん? むぅ。疑問なのはやっぱり受信料徴収に関して 例えば、「法律に従いこれを順守する為、受信料徴収を行う」 ってな理屈ならまあ、わかる。これは営利にならんかも知れん。 法律に沿って、法律に従っているだけで。 でも「法律を用いこれを順守させることを基本とし、受信料の徴収をする」 ってのはちゃうんじゃないかと。これは営利なんじゃないかな。 少なくともワシの目にはそう映る。非営利には思えん。 ↑で「法律を用い」としたのは受信料の不払いを容認することから。 受信料徴収に関しての決定権が「みくの」にあり、形として 放送法に沿っているだけのように見えるから。 「みくの」は公共放送だろうか。 営利、非営利だけで判断するのであれば 少なくともワシは認めたくない。 それ以外の部分で見ていくとするのであれば 確かに「みくの」にも他民放とは異なる特色のようなものは見てとれる。 ただ、それは「放送法を用いる為の理由付け」であって 「放送法に従う為」ではないように見える。ワシにはね。 「放送法に従わない営利企業」が公共放送なのだろうか。 放送法 第32条 による益を得たいが為に 「放送法に従っている と思えるように、放送法を用いて益を得ている」 とワシなんかの目には映ってしまう。 公共放送ってなんだろう? 「制限つきの特権を持った民間放送」のことだろうか。 いや、いくらなんでも違うと思うけれども。 むぅ、ワシらは「公共放送」ってのをどう位置づけるべきなんだろう。 視聴の対価として受信料を支払ってる人から見ると「公共放送」なのかな。 だと、支払ってない人にとっては「風変わりな民間放送(商業放送)」なんかな。 受信料の支払いが基準で「公共放送」かそうでないかが決まるんかな。 「公共放送」ってそんななの? むむぅ。・・・ちょいと検索してみた。 「放送政策研究会」(第5回会合)議事録 総務省HPより ここではデジタル化に伴い、公共放送のあり方を見直してみよう ってな趣旨みたいですな 公共放送を考える上で公共放送と商業を切り離すのが不可能だ しかしながら、ただしそれぞれの役割がある (※勝手に要約 ミスリードが怖いので元参照のこと) って考え方には同意ですな。 ただ、デジタル融合に伴い直面する大きな問題点として 「競争」の概念が生まれているっていう下りはワシにはようわかりませんが。 放送産業全体として考えて行くと ってことなんだろうけども。 で、その理由として 伝送路の多様化、とりわけニューメディア(インターネット・携帯端末など)の発展 を挙げられていますが、なんでこれが理由になるのかワシにはようわかりません。 お馬鹿なので。 何故に公共放送に「競争」の概念が生まれてる理由が↑になるのでしょうか。 ↑により公共放送が不要になりつつある ってことなんだろうか。 で、だと困るので「競争」の概念が生まれると。・・・何で何が誰が困るんだろ。 と、公共放送の意義に反することが困るのかな? 公共放送の意義ってなんだろ。↑の同HPにはこんなことが書かれてるようです。 1.経済学的な視点から言いますと、放送産業を市場にまかせると 「市場の失敗」が起きるので、それを補う必要がある 2.放送そのものが価値財である。 3.消費とネットワークの外部性 4.緊急時という言葉のように、すぐには消費しないけれども、 将来消費するかもしれない、その可能性に対する価値。オプション価値がある。 5.知る権利(シチズンの意識?) ※ 面倒臭いとは思いますが必ず元を参照して下さい。勝手に要約してます。 3.が特にようわからんので、別に調べてみた。 ネットワーク効果 奈良産業大学 経営学部 HPより ここでは ネットワーク外部性を 「同じ財・サービスを消費する個人の数が多ければ多いほど、その財・サービスの消費から得られる効用が高まる効果」 として定義されているみたいですな。これなら少し分かりやすい。 と、↑を勝手に解釈すると 公共放送とは常に質の高い情報を(視聴者(民?)に)提供し、 ネットワークの外部性を生み出し「市場の失敗」を防ぎ放送産業市場を補う (民?の)知る権利へ奉仕する放送であり、オプション価値を有した価値財。 こんな感じかな。 んでこれに受信料が絡んでくる感じ。 ~~価値財。よってこれを維持する為、負担金として受信料を徴収しなければならない。 こんなんかな。 ポイントはやっぱり受信料なんじゃないかと。 この徴収が「しなければならない」でなく 自由意思に任せるような「することができる」 に変わってしまうと途端に公共性が失われてしまう気がする。 公共放送である資格が失われてしまうんじゃないかとワシなんかは思うのだ。 民皆で支えていくのであって、「みくの」が支えているわけではない。って感じかな。 なんだろう。 民にとって大切な価値財だから皆で負担しあって支えてこうぜ! 的なノリと 民にとって必要だろ? んじゃあ、維持したければ負担しな!! 的な半分脅迫のノリの違いだろうか これだと、「どうでもいいや、そんな放送」的なノリの人は 一切負担しようとは考え無いわけで。 それでいいのか「公共放送」そんなもんなんか「公共放送」。 なんか違うと思うのだけど。 そんなの「公共放送」じゃあないんじゃないかな。 まあ、受信料だけに限ったことでは無いけれどもね。「みくの」の場合。 価値在を維持する為、対価として受信料を払うのは「公共放送」であるからであって、 そうでない「みくの」の受信料徴収はやっぱり納得行かない。 かと言って、「受信料を負担しないこと」を肯定しているわけではないですよ。 「みくの」に受信料を払うことが納得行かないだけで。 ワシは「公共放送」でない「みくの」は「PPV(パイパービュウ)」であるべきだと思う。 見たい番組を見たい分だけ支払って見る。そんな感じ。 受信の対価としてお金を負担する。 平等。 既に「公共放送」でないんだからこれでいいじゃないか。誰もが皆納得すると思うし。 ・・・と、大方の人が気付くかも知んない。 受信料払って「公共放送」にしといた方が良かったと。 PPVって一番組見るのには確か200円くらい掛かると思う。 んで、今のNHKの受信料が1日当たり40円ちょっと位かな。どうだろう。 「公共放送」としての対価を支払っといた方が良かったと気付くんじゃないだろうか。 ・・・と大方の人が気付かないかも知んない。 民が「公共放送」を欲して無い場合だと。 したら、いくらなんでも考え直すでしょう。「公共放送」のあり方を。 日本放送協会の在り方を。 日本放送協会の在り方は「みくの」が考えようとするだろうけれども それより前に民が「公共放送」のあり方を考え直し、 日本放送協会の方向性を示唆するべきだと思う。 「みくの」のような放送がTVで見られなくなり、 他の放送だけを視聴して楽しんでる自分を外から(客観的風に)見ると 妙に気持ち悪く思える。 とは言え、「みくの」のような放送だけを見て楽しんでる自分も気持ち悪い。 そこにワシが「公共放送」を欲している理由を感じる。 要はワシにとっては「バランスをとる為の放送」として 「公共放送」が無いと困る ってことなんだと思う。 んで、「バランスのとれない状態」、「偏った情報だけを受信する」 そんな民が大多数に至る状況が「市場の失敗」にあたるんじゃないかと。 ワシは思いました。 なので、まずは「PPV」にして見るとおもしろそうだなと。 「みくの」に対して対価として受信料を負担するのが嫌だ って気持ちはわかりますしね。 ワシの家は払ってますがね。本当は今は払うべきではないのかも知れない。 でも、タダで見るってのはなんかやだ。 この「タダで見る」って発想自体間違ってるのだろうけれどもね。 「公共放送」という価値財を維持する為に負担してるのであって、 「みくの」を維持させる為に負担してるわけではないですから。お金を。 ワシの中では既に「公共放送」と「みくの」は別物になってます。 ワシの中では「みくの」は日本放送協会ではないから。 日本放送協会と「公共放送」はイコールに近い形で結べるかも知れんが 日本放送協会で無い「みくの」は「公共放送」とは違うから。 その癖、「みくの」は「公共放送」を有している。 「みくの」は本来「公共放送=日本放送協会」であるべき財を 独占している状態にあるんじゃないかと思うのだけど。どうだろう。 ワシらはそれが許せないってのが今の図式。 受信料を支払いたくない というよりは 支払うべきでない のが正しいのかも知れない。広告を放送しないのも「みくの」の都合に思えるしね。 まあ家は払うけどね。タダで見るって発想が抜けないし。 まだ、ワシも「公共放送」が何なのかよくはわかってない証拠だろうね。 でも、このまま支払い拒否が悪化して、これじゃ駄目だとなった時、方策として 「PPV」方式を採用するのが「みくの」の為だとは思う。 民の為でもあるのか。「公共放送」について熟考する必要が生じると思うし。 どちらにしても「みくの」を見直す必要はあるのだろうね。 けれども、「みくの」を見直すより放送法を改正するより まず「公共放送」について考えてみるのが先だと思う。 「みくの」ではなく「公共放送」を支えるのに金銭を負担することを自分はどう思うか。 それでも嫌なのか、それならかまわないのか。 「公共放送」というものに金銭を負担する場合において、どういう場合なら許せるのか どうあっても納得行かないのか。 「公共放送」は不要なのか必要なのか。 それでもわしは ~公共放送NHK♪~ ってのは認めませんが。 「みくの」に関してだけどね。 久しぶりの妄言はこんなとこで。 またあとで追記するかも知らんが。 とりあえず他読んだとこのURLを掲載してみます。 ・・・URLからリンクに変更してます。 沖縄は受信料制度の最先端 日本放送協会番組基準 日本テレビ番組基準 TBS放送基準 株式会社フジテレビジョン番組基準 番組基準(TV朝日) テレビ東京の放送番組編成基準 tvk番組放送基準 テレビ埼玉放送基準 MXテレビ 放送基準の改正 ※一時的に掲載を止めてるのかな? 放送倫理ーよりよい放送のために 放送倫理番組向上機構 追記 ワシが受信料に拘ってるのはここに様々な原因が集約されてると思うからです。 少なくとも 受信料不払い なんて概念が無ければ、 「みくの」は一切視聴率なんぞを気にする必要はなくなるはずなんじゃないかと。 「競争」の概念から外れるんじゃないかと で、それにより本来の「公共放送」を行うことができるのではないかと。 そのように思うわけでもあります。 追記2 そういえば、NHKの名前を冠した株式会社が多々あるのも納得行かないね。 NHK=日本放送協会≒公共放送 だと言うなら余計に。 不可思議だ。 追記3 12/19 PM6:50頃 風呂上り さっき風呂入ってて思いついたこと。妄言でも 公共放送なんだけども、時間割の無い放送ってどうだろう。 いや、完全に無いわけでなく、週割の時間割が無いって感じで。 毎週何時にこの番組が放送されるから見る とか そういうの。それが無い放送。 予め、1日に放送する番組は決まってても、同じ番組は放送しない感じ。 まあ、同じような番組は放送することは多々あるだろうけれども。 せっかく公共放送で視聴率気にする必要が無いんだから、 視聴率を取れる番組を常に放送するって必要は無いでしょ。 だったら、色々な番組放送したほうがおもしろいと思う。 と、やっぱPPVのが好ましいのかも知れないって思いがちだけれども どうだろう、何放送するかわからない放送局。 毎日、新聞のテレビ欄が気になるんじゃないかなあ。 至極個人的には気になる。そうなったらね。 と、見たい番組を選んで行くうちに、現在の受信料と同等以上のお金を いつの間にか支払うことになるかも知れない。 と、受信料のが好ましいように思えるかも知れないなあ。 まあ、これは妄言だけれどもね。 #
by black_word
| 2004-12-17 03:00
| 妄想 思
どうも。もの凄~く久しぶりに更新でもしてみます。んじゃ、いつものパターンで 書き連ねていきませう。 今日の妄言は 「いつの間にかおかしなことになっている事柄」についての愚痴でも。 「お笑い」のネタになりそうな話だな とか思ったり。 誰が定めたわけでもないのに何時の間にやら当たり前になっていること。 色々ありますよね。 例えば・・・電車の乗り方とか。 関西と関東じゃ乗車の際の決まりごとも変わってくるのかも知れないですが、 別にそんな妄言を吐くつもりはありません。今回は愚痴です。あくまで愚痴です。 普段、電車に乗る時って 「降りる人を優先にする つ・も・り」でドアの真正面は避けて横に並びますよね。 この方が降りる人が降りやすいから そんなこと誰が決めましたか? 今日の今日まで私もその「つもり」で乗車の際には扉横に並ぶようにしていました。 ただ、これって嘘ですよね。この「降りやすいように」ってところ。大嘘です。 正解は「乗りやすいように」です。 恐らく間違いないでしょう。たぶん。きっと。だと思う。 では、自分が降車する時を考えてみて下さい。 1例 [電 車] 扉扉 人 人 人 人 出 人 人 口 人 人 多分こんな感じでしょう。物凄い下手な図解ですみません。 ・・・どうでしょう。 自分が降りるとして 降りやすいですか? 私は降り難いと感じます。まあ、人それぞれでしょうが。 ↑だと降りた後に直接出口に向かって歩けないですから。 並んでいる人の周りを回ってから出口に向かわないとならないので。 でも、この並び。「乗りやすい」ですよね。降りる人を降ろした後にすぐ乗れます。 もの凄く上手い嘘です。 ちなみに横並びで「降りやすいように・・・」と考えた場合の乗車は 2例 [電 車] 扉扉 人人人人 人人人人 出 口 こんな感じかな。 こういう風に並んでくれてると非常に降りやすい。 でも、これだと「乗りにくい」のでぃえぃす。 なので、こんな感じではいかがかと 3例 [電 車] 扉扉 出 人人 口 人人 人人 人人 これなら、「乗りやすい」し「降りやすい」と思う。 しかーし「歩きにくい」罠もあったりするのですよね。 これだとホームの中央付近まで人が並んでる姿が容易に想像できるし。 でもね、私一人だけ「3例」で並んでも、 他全員が「1例」で並んでいる限り邪魔になるだけなんですよね。きっと乗車も遅くなるし。 皆が皆「2例」ででも並んでくれれば特に文句も無いのですが。 私自身はできる限り「2例」で並べるよう努力してはいます。 周囲の状態により実行できてないことももちろんありますが。 だって、前の方に並んでながら 何時の間にやら一番後ろに並ばされてたなんて冗談じゃないですもん。 なので努力しかできません。ええ。その程度の輩です。私。 でも 降りる人が降りやすいから ってな理由で「1例」で並んでる人はなんか違うと思う。 騙されてるぞ。絶対。嘘つきだし。 まあ、「2例」努力しかできてない私もその一人ですけど。 「乗りやすいから」だったら、まあわかる。降りる人のことは考えていないけど。 問題なのはこの「嘘」に気付かずに 「自己中心的な行動」をとっている、もしくは とらされている ところにあります。さらにはそれが「当たり前」になってるところに。 何か得してるのは鉄道会社のような気もする。てきとーなこと言って、 てきとーに並ばせておけば駅員さんの仕事も減るのかも知れない。 ・・・妄想っぽいっけど。 んで、それらしく てきとーに並ばされてる。そんな気がする。 利用者のことなんかゴミの屑程も考えてないんじゃないだろうか。本当は。 何にしろ鉄道会社都合のような気がするなあ。これは。 世の中に騙されてます。・・・私もその傾向が非常に強いのですが。 んじゃあ、次は全然違うところで タッチパネルとか。 タッチパネル・・・便利ですか? 私は不便に感じます。急いでいる時なんか特に。 一番嫌いなのは券売機のタッチパネル。利用頻度が高いってこともあるのでしょうが。 目当ての画面の映像(ボタン)に指を当てているつもりなのに中々反応しない。 それだけならまだしも良いけど、目当ての画面の映像(ボタン)に触れているはずなのに 関係ない画面の映像(ボタン)が反応してしまい不必要な品物が排出されたりするし。 迷惑この上なし。でございます。 ところで、タッチパネルって誰の為に必要なんですかね? 本当に。誰だろうこんなもの開発したのは。機械弄りが好きな私なんかの場合、 初めは面白そうに感じたのですが今になって考えてみると騙された気がします。 気付くの遅すぎって噂も。 タッチパネルにすることによって得しているのって タッチパネルの機械を提供している企業側なんでしょうね。当たり前の話ですが。 (切符)券売機だと鉄道会社とか。 企業としては利益にならないことはやらないのだろうけれども。 何時の間にか利用者の益が削られている気がする。 券売機が多少ごたごたした作りになっていてもアナログのボタンのが便利な気がする。 音楽の検索用の機械とかもだけど。音楽の検索用の機械とかの場合、 矢印キーと、文字入力キーと、その他特殊機能を持つキーを 適当に配置しておいた方が扱いやすいような気がする。 こんなのデザインなんてどうでも良いし。利用者からすれば。 いや、外観デザインを気にする人も中にいるかも知れないけれども。 私にとっては不必要です。 アナログに戻す気はないのだろうか?1台当たりのコストは高いかもしんないけど。 タッチパネルの件に関して言えば、 いくつかのホームページ等でよく見かける話だと身体に障碍のある方が 非常に困っているらしい。言われてみれば確かにそうだな。と思う。 企業にとっては自社の利益の追求も必要だろうけれども、 利用者(消費者)の利益の追求(CS~顧客満足度~)のが もっと大事なんじゃないだろうか。 自社の利益の追求を基盤として利用者側に接する姿勢の場合、 必ず何処かに納得のいかない嘘がある。そんな気がする。 逆に、 CSを追求することを基盤として自社の利益を追及する場合、 何処かに嘘はあるだろうけれども、納得の行く嘘になるんじゃないかな。 そんな気がする。 飲食店のセルフサービスなんかで良い例が見受けられる。 いや、本当に良い例かどうかは疑問ですが。個人的にそう思うだけで。 例えば「めしや丼」とかで定食を頼んだ時にみられるセルフサービス。 「めしや丼(定食屋さんのチェーン店です)」で定食を頼むと 基本的にご飯がお代わりし放題なのです。 で、この「お代わり(漢字が合ってるか自信ありません。)」 昔は店員さんを呼んで、お願いする方式だったのですが これだと、2杯以上お代わりするのが何となくし難いのです。 もちろん「し放題」なのでいくらしても構わないのですけれども。し難い。 ところが、何時の頃からか「お代わり」がセルフサービスになりました。 中央においてある御飯釜のとこまで行って、好きなだけ盛ってくれ!! みたいな形式にです。 最近飲食店に増えてきた「水のセルフサービス」もこれに入りますね。 これは利用者にとって見れば非常に嬉しいサービスです。 気兼ねなく好きなだけ御飯盛れますし。ただこれにも嘘はあります。 利用者の為と言いながら実は企業側の為でもあるからです。 当たり前ですが「お代わり」の為に接客しなければならない店員の手間が省けます。 この場合、企業側にとっても充分な益になっていると思われます。 とは言ってもこの場合は双方に益があると思うですよ。 なので、この場合の嘘は「納得の行く嘘」なんじゃないかと。 だって、今さらセルフサービスやめて店員召喚方式に戻されても 嬉しくないですし。私は。 もちろん店員召喚のが嬉しい方もいるでしょう。 ただその場合は店員召喚が許されていないわけではないですから呼べばいいわけで。 でもひょっとすると、 このサービスの採用により企業側が損しているかも知れないですけど。 きっと以前よりも御飯の消費量が激しいと思うし。 ただ、このサービスがあるから「めしや丼」に行くって人も増えてるとは思う。 だから、どっこいどっこいなのかも。 んじゃあ、話を戻しましてもう1例 ここで、私も反省すべき点が多々ある「おかしなことになっている事柄」を一つ。 自分のことを棚上げする形になりかねないので、 書こうかどうか迷ったのですが、エスカレーターの話をつらつらと書こうかと。 nosekun様のブログのエスカレーターの使い方 をまずはご参照下さい。色々考えさせられます。先に暴露しておきますと、 私は未だに右空け風習を喜んで利用している駄目人間の一人です。 理由は 階段を使うよりもエスカレーターを利用した方が早いから。なので エスカレーターを階段のように使って上ります。 一段の高さが階段よりも高いので断然早く昇降できるのです。 本当に駄目人間です。私。↑を知った今でも止めてないですから。 都会の死角 エスカレーターの右空け にあるように 「歩行禁止の明示」がされていれば使用しないでしょうけれども。 奴隷思考なので「禁止」されると従います。私の場合。 でも、そうでなければ利用してしまうのです。昇降道具として。 便利だと・・・ついつい。駄目人間な私です。 自分勝手で個人的な気持ちを言わせていただければ エスカレーターの右明け禁止は賛成です。ちゃんと禁止して下さい。 心の弱い駄目人間なので禁止されてない限り、 罪悪感を持ちながらでも私は使ってしまいます。きっと。便利だもの。 エスカレーター禁止に賛成する理由ですが それはエスカレーターの存在理由にあります。たぶん。自信ないし。自分のことなのに。 そもそも、なんでエスカレーターなどと言うものが世の中に存在するのでしょうか。 何か物凄く仰々しい書き方してますが。 エスカレーターは階段のように昇降する為に作られたものなのでしょうか? そこいら辺は詳しくないので何とも言えない部分ですが。 だったら、エスカレーターと同じ形の階段を用意すればそれで事足りるような気がします。 動いている必要は無いですし。階段として使うのであれば。 別にエスカレーターである必要はないわけです。 ・・・と書いておいてひっくり返しときましょうか。 多分エスカレーターで昇降する人の中には 私のように小ずるい考えを持っている人がいます。 何か? エスカレーターの「右」は並ぶ人が少な目なのです。 階段の場合、並び時間は無しですが1段の高さが低い上、 ラッシュ時ともなると思うように昇降し難い部分があります。 で、エスカレーター右を使うのです。多少並んでも 1段が高いので階段より速く昇降できますし、疲れないですし。 逆から人が降りてくることも無い。でもね、 これを理由にエスカレーターの右空けを肯定するのはただの我侭ですよね少数の。 肯定はしてないですけど、私も我侭な輩の一員です。はい。すみません。 ですので、これを押し通すのはちょっとなあ と思いますですよ。 ということで、とりあえずこれは除きましょう。ただの我侭なので。 除いた場合、「速く昇降したいから」と言う理由であれば 必ずしもエスカレーターでなくても良いわけですね。 一段が高い階段さえあればこと足りますし。 では、何でエスカレーターが存在するんでしょう。 当たり前の話ですが、エスカレーターに乗れば歩かないでも 上の階に連れて行ってくれます。そう、「歩かないでも」です。 「歩かないでも」良いように「動いている」わけです。エスカレーターは。 少なくとも「歩く為に動いている」わけではないでしょう。きっと。 そりゃ、時代が変われば扱い方も変わるかもしれませんが、 自然淘汰はちょっと違うんじゃないかな。「右」は「歩くのが当たり前」ってのは。 これはタッチパネルにも言えることだけれども。 「画面に触れるのが当たり前」とか。そういうの。 元々の利用者の気持ちとか全く考えてない。そんな気がする。 ・・・うぅ私も大いに反省しなければならないです。 では、ここで「右歩き」による怖い弊害を一つ。実話です。 当時、私が通学していた専門学校は立川にありました。 なんで、当然立川の駅を利用していたのですが そこで一度、ラッシュ時にエスカレーターの緊急停止を経験しました。 怖かったです。危うく転げ落ちるところでした。右歩き(上り)してたので。 この緊急停止。原因は恐らく「右歩き」にあります。 恐らくというのはそれを証明する文章をネット上で見つけられなかったから もっと良く探せばあるのかも知れないけれども。 私が思うに2人乗りのエスカレーターの全ての段に2人ずつ乗っかった状態で どこかの段が3人以上の人間が乗っかってるような状態になると エスカレーターは緊急停止する?もしくはし易いんじゃないだろうか。 エスカレーターの仕組に詳しい方、教えて下さい。 例えば 2人乗りのエスカレーターで25段ある場合、許容量は50人。 それ以上の人間がエスカレーターに乗っかると緊急停止。こんな感じ。 この原因は明らかに「右歩き」にあります。 階段みたいにエスカレーターを上っていると時々、前の人が上に上りきっていないのに 次の段に足を踏み出していることありますよね。 これがラッシュ時で全員が同じようなことしてる状態になってたとしたら 緊急停止、しますよね。たぶん。間違えた使い方である証拠じゃないでしょうか。これ。 なので、私は「右歩き禁止」には賛成します。 とは言っても、禁止されない限り使ってしまうでしょう。 なのでエスカレーターを所有されている方にお願い。 特に同方向のエスカレーターを同じような場所(隣)に設置されている企業様。 片方を昇降用として、もう片方を昇降禁止として分けて貰えると嬉しい。 他に誰が喜ぶかは知らないけれども。私は非常に嬉しい。 又、別の方法として1人乗りエスカレーターの複数設置とか エスカレーター風昇降用階段とか。・・・ここまで来ると妄想爆発ですが。 どちらにしても採用はされないだろうなあ。自社の利益しか考えてないような感じでは。 企業側はあまり得しないもんね↑みたいなことやったとしても。 だから無理だろうとは思う。自社基準の視点では。 これはこれで利用者の我侭でもあると思うし。 企業側としてはそれに応えることによりどのような利益を生むか ってのが重要で、無ければやらない。当然と言えば。当然。 否定(応えないこと)が前提の考え方。 せめて肯定(応えること)前提の考え方に変えてくれれば、 もっと色々良くなるのかも知れない。 「それに応えることにより」→「それに応えて」 「どのような」→「どのように」 こんな感じ。利用者中心な考え方。・・・て言っても利用者の我侭だし 必ずしも変える必要があるわけではないのだろうけれども。 でも、「利用者中心」で利益を生む方法が考えられないなら 「現状維持」で我慢するべきじゃないのかなあ。とか、 最近になってそんなことまで思うようになってきた。 行き過ぎた考えであることはわかっているのだけれど。 不便さの重要性については前に書いてるので細かくは書かないけど 変えれば良いというものでもないのだなあとは強く感じる。 その他、おかしなことになっている事柄も一つ。 携帯電話。いつの間にやらケータイ(携帯通信機器)と名を変えていて所有しているのが 当たり前になりつつある品。felicaとか電子マネーを利用する媒体として その内に持たざるを得なくなりそうで怖い。私も一応携帯電話は所有している。 プリペイド式だけれども。使ってみると、なるほど。受けるのには便利。 でも、掛けると高く付く。だから、私は公衆電話を探す。 ところが、最近公衆電話が少なくなってきた。その内にほとんど撤去されてそうで怖い。 まだまだ使用可能なテレカが残ってるのでせめて全部使いきりたいものだ。 でも、使い切る前に私の周りから公衆電話が消えてそうだ。 まあ、最近では携帯電話の通話料も値下げされてきてるけれども。 どうやら最近では「本」もケータイで読むらしい。 ケータイがないと利用できない「情報」とか、 そういうのは今後も増え続けるのだろうね。きっと。 そうしたら私もケータイを買わざる(契約せざる)を得ないのかもしれない。 選択すらさせてもらえない状態になりそうで怖い。というか非常に不服。 といろいろと脈絡なく愚痴を書き綴ってきました。その中で思うこと。 というか、私が最近になって感じること。 「納得のいかない嘘」を含んだ「当たり前」が横行しているように感じます。 とは言え、「当たり前」になってしまっているので よくよく考えて見ないと「納得のいかない嘘」を見つけることすら 難しいのかも知れない。少なくとも私の頭だと追いつかない。 いや、奴隷思考な姿勢では発見し難いのかも 某知り合いならきっと簡単に見破るのだろうけれども。 どちらにせよ 「当たり前」のなかに隠された「納得のいかない嘘」を見破る能力は必要だろう。 極端な話、気付かないままだと何時の間にか殺されてるかも知れないのだ。 又、自身にとって「当たり前」でもどっかに「納得のいかない嘘」が 隠されていると、誰かがその「嘘」により害を被っているんじゃないかな。 んで、「嘘」に気付いた時にはもう遅く「当たり前」になってしまってることを 修正することは困難になってしまっている・・・と。 いや、修正した結果が「自身に都合良く」なるのならばできるだろうけれども。 「自身に都合悪く」なるのなら修正は難しいだろう。やっぱり。 ・・・嘘発見機関とか作ってくれないもんかね。 日常の「当たり前」の中に隠された色々な嘘を明るみに出してくれる。そんな機関。 別に何をするわけでなくても良いので、 ただ世間一般人に「嘘」を認知して貰えるように働きかけてくれるそんな機関。 あ、テレビ番組でもいいや。日常に隠された「嘘」をパシパシ暴いてくれるそんな番組。 それだけでは世の中変わらないだろうけれども。少しは変化があるかも知れない。 双方に益のある、「納得のいく嘘」に変わっていくのなら 非常に有用なものになるだろうな。・・・・と最後に凄い妄想をしてみたり。 最後の最後に自分の駄目人間振りでも出して終わりにしましょう 私は明日も乗車の際に「2例」で並ぶように努力しながら、 順番を抜かされそうになったら、きっと「1例」で並んで乗車するでしょう。 んで、時間が掛かるのが嫌なのでエスカレーターを昇降すると思います。 ・・・結局、自分だけが「損」するのが嫌なんでしょうね。私の場合。 そうは言ってもなあ、こればっかりはなあ。 「損」を好んで受け入れられる程人間できてませんから。私。 ・・・言い訳してる最低な輩な私です。 「禁止」されればすぐにでも止めますけど。奴隷思考なので。 今回の妄言はこれ位にしときましょう。結構長くなったなあ。 内容無いけど。・・・まあ、いいか。 今回の愚痴な妄言はこんなところで。 私の文章の「当たり前」もあんまり信じない方が良いです。特に今回愚痴だし。 P.S. 「当たり前」の話の一つとして「キーボード配列の話」をしようと思ってたのですが、 忘れてしまった事柄があるので止めました。 話の内容としては、 何で未だに入力しにくいはずの「キーボード配列」が使われているのか? ってな感じの話です。 とは言っても、「元はタイプライターで・・・」とかの話ではなく、 パソコンが使用されるようになった現在でもタイプライター時代の配列が 一般になってしまっているのはなんで? ってな話の感じになる予定ですた。 これは、何かしらの病気が関わっているらしいのですが、 病名を完全に忘れました。ネットで検索してみたものの上手くひっかからなかったので 飛ばしました。まあ、↑の話の流れとはあまり関係ないので なくて良かったって話もありますけど。 某方へ、次はちゃんと宣伝しますので待ってってください。 #
by black_word
| 2004-07-22 23:14
| 妄想 思
過去書いた文章の中で少しでも関連がありそうな妄言(要因)に関して。 ここにトラックバックをしておきます。 自分で自分にトラックバックを行ってみるってのは妙な気分ですね。 いずれもコメントが肝です。 いつも通りズレた視点から考えてみる妄言 では自己肥大等について・・・かな? それだけではないけど。 とにもかくにも猛反省 では 殺し殺される緊張感。 占いに見る 積極性と消極性。私の不自由な思考形態? 体系? ネガティブ思考の 根 のお話と親の躾 では 育て方について。 良いと思うか悪いと思うかは人それぞれです。きっと。 でも必要なことだったのかも知れないと。今回の件でちょっと思うようになりました。 依頼心の強さと漢字の利用、受けて側の快、不快 言、字、音の見えない力とその効力 では 意思伝達媒体利用の難しさとか ゴシップ記事は有用ですか? では メディアに対しての接し方 かな。 「教える」ってなんでしょう?「教わる」ってなんでしょう?.. では 教え方 とかについて これはちょっとこじ付けです。 suicaに見る 電子(マネー)の便利さ 不便さの重要性 では 便利さが招く思考停止について かなあ。これもこじ付けですね。 「安全」等についてのメモ書き では 自分を守ってもらう為には他人を守らなければならない。 とか そんな考え方。 いずれもコメントが肝だったりすることがちらほら。 コメント残して下さってる方々へ 非常に感謝しております。本当に色々勉強させていただいております。 気が向いた時で構いませんので、これからもよろしくお願い致します。 昨日から何度か訂正してます。お許しを。 先程、閲覧させていただいた sorairo_7 様のブログで書かれている文章 子どもの叱りかた? に記載されている 「大切」という感情を大事に育てる という考え方は 非常に勉強になりましたのでここにリンクさせていただきます。 sorairo_7 様 ご迷惑でしたら削除致しますのでご連絡お願い致します。 #
by black_word
| 2004-06-09 02:27
| 妄想 思
どうも。久しぶりに更新する気になったらしいです。 お目汚しではありますが読んでいっていただければ幸いです。 で、何を書くのかというお話ですが 例の小学生の物騒な事件についてで。お願いします。 事件の要因について考えてみると、まず簡単に思い浮かぶのは 今回の件と類似した事件等に対して 執拗なまでに繰り返されるメディアの報道とか そういった報道に対する慣れ とか 文字で語ることの難しさ とか ネチケット とか だいたいそんな感じのこと。 でも私はこれらの事に対しては今回は書かない。 若干、今まで書いてきた内容と重なってしまうし。 今回は大幅にズレた視点から色々書いてみようと思います。 皆様は自分に自信がありますか? 私はありません。ええ、きっぱり。 最近、自分に自信を持てる人が非常に増えてきているように感じる。 そのこと自体は良い傾向であると思うけれども。 私の目指しているポジティブ思考にも繋がるし。 ただ、それに比例して「自信を持ち過ぎている人」も増えているように感じる。 「自信を持つ」のは良いと思うけれども。「持ちすぎ」はどうだろう? と。 何処を基準に「持ちすぎ」と判断するかは難しいところですが。 原因の一つとして考えられるのが「ナンバーワン」傾向が強いこと。 と言うより「オンリー」で「ナンバーワン」であれば良いという考え方かな。 とにかく1番になりたがる。誰しも持っている欲求だろうけれども。 私にも覚えがありますし。 通常、1番を目指す時って 何らかの「集」の中で 頑張って、頑張って、努力して、努力して そうやって1番を目指すものだと最近まで思ってました。 ただ、最近の傾向は違うのですよね。何となーくですが。 とある「集」の中で 頑張って、努力して それでも1番になれないと そこですっぱり諦めて、自分を1番において新たな「集」を作り出す。 そんなように感じます。常に自分を1番にしておきたがるそんな傾向。 自分が最上位にいないと気が済まない。 私はどうかと言われれば、思い当たる節がちらほら 「オンリーワン」的「ナンバーワン」思想。 他人を信用しないことに関しては No1 おかしな人間 No1 頭が悪い人間 No1 ↑のように勝手に「自分ジャンル」を創ってNo1になろうとする。 じゃあ、No1の地位が脅かされそうになった時はどうするか? 1.今の「ジャンル」を捨てて新たに「自分ジャンル」を創ってNo1に。 2.何がなんでも今の「ジャンル」を防衛。 私なんかは「1」ですね。きっと。傾向としては。小心者ですし。 問題は「2」の場合、「自分ジャンル」の No1を防衛しなきゃならないとするなら、皆様はどう戦いますか? 相手のウィークポイントを中心に攻めたてる。 相手が私(「1」の考えを持つ人)ならあっさり防衛できます。 でも、「2」の考えを持つ人の場合はどうでしょう? 確実に揉めますよ。喧嘩になるかもしれない。 エスカレートしたらどうなるかわかったもんじゃない。 今の社会ってそんな傾向が非常に強いと感じますですよ。ワシは。 ~よりは上 (「~よりは」で自分ジャンルが成立している罠) 何が何でも「上」になりたがるそんな傾向。 まあ、今だけでなく昔からずーっと続いてきた事柄のわけだけれども。 何かを「支配」したがったり そういう欲求。 抑制できれば一番良いのだろうけれども。難しいですよね。 というか無理に近いと思いますし。 じゃあ、どうするか? 今、 自分にかなり自信がある人へ 自分の池から出てみてはどうでしょうか? 自分の池で1番になっててもあまり意味ないですよね。自己満足にはなりますが。 相手の池を自分の池に変えてしまう位の意識を持って 違うことをやって見てはどうでしょうか?きっと人として大きくなれます。 きっといろいろ衝突も多いでしょうが。より高みを目指して頑張って下さい。 ・・・私にはできませんが。まずもって無理です。 んで、それが出来ない私のような人間は 「No1じゃなきゃ嫌」っていうなら 自分の中でのNo1を貫き続ければ良いではないですか No1になろうという意識自体は必要なものです。 問題なのは 「(自分が勝手に)決めたNo1にいつまでも固執する」ことだと思うですよ。 そこ(自分が勝手に決めた)でのNo1が無理ならとっとと諦めて 新たに「自分ジャンル」を創ってNo1になれば良いのではないですか? 何だかんだ言っても自分で創った「自分ジャンル」ですし。 固執する必要なんて無いと思うのですが。どうでしょう。 というかNo1なんて きっと皆「自分ジャンル」です。 中には他人に認められるものもあるかも知れませんが 結局は「自分ジャンル」です。 じゃあ 多くの人に認められる=No1 こんな等式。本当に成り立つと思いますか? 認められてなくても密かに No1 な人はきっと大勢います。 でも、やっぱり他人に認められたいんですよね。きっと。 「他人に認められないNo1」は嫌。 「自称」のままではいつまでも満足できないのです。 「他称」にならないと。 「他称」ってことは他の人と比較をされるということで。 多くの場合、ここで自分に自信を持ち過ぎていると色々な衝突が起こってくる。 何故か? No1てのは結局「自分ジャンル」の中でだけのものだ ってことを 認識してないからじゃないだろうかと。 No1なんて所詮「自称」に過ぎないんじゃないかなと。どこまで行っても。 それを分かっていれば、わりと容易に衝突を避けられると思うのです。 ・・・・非常に甘い考えではありますが。 No1は所詮「自称」に過ぎない そういう意識。少しは必要じゃないかなあ。 密かに自分より「上」な人はきっと何処かにいますし。 他人を認める、認めないとか そういうのもそう 自分の意見がより良い意見だと考えるのもそう 所詮「自称」。そんな考え方。 誰かに気に入らない考え方とかを押し付けられた時も 所詮「自称」。 そう思ってみるとか。自分の為にはならなくても ね。 ちなみに、今書いてることは全く持って正しくないですよ。 衝突を避けてばっかで良いわけが無い。 そんなことしてたら、何時までたっても自分の池から出れないですし。 ただね。衝突を回避する一つの方法として こんなのも有りなんじゃないかと。 No1を目指すならとりあえず自称でいいじゃん。 と。 誰かと比較するならするで「自称」であることを認識しとこう! と。 現代に生きるお子様な方々。並びにご両親に。ちょこっと言いたい。 正しいことを言っているわけではないので大声で言えないけれども。 他称でのNo1を目指してばかりいると 非常に自信過剰になりやすいのではないかな。 そのNo1がなまじか多くの人に認められていると特に。 自称No1でいたら 何時の間にか多くの人に認められてた。 これが私の理想。 ・・・・もうどうしようもない位に理想だけれども。現実は厳しいなあ。 今回の事件の場合、 容姿のことで悪口を言われたことが原因だとか なんとか しかも文字媒体で1対多のやりとりになる感じで行われていたとか まず、悪口を言われた側(加害者側)に言いたい 相手が言っていた言動は所詮、自分視点です。 100人にアンケートでもとってその事実を 書き記したのであれば別かも知れないけれども。 ただ、私は女の子ではないので、容姿に対しての悪口が当人に どれ程の不快感を与えるのかまでは想像できません。 殺意を覚える程のことかどうかまでは。 私の場合はそこまでの思いは抱かなかったので。 凹むことは凹みますけれども。今では当たり前になってますが。 悪口で殺意を覚える。そんな場合を妄想してみるに 加害者の方は自分の容姿に相当な自信があったのかも知れない。 他の人に認めて貰える と思える程の。 にも関わらずその自信を根底から砕かれたから 殺意を抱くに至ったのではないだろうかと。あくまで妄想です。あしからず。 被害者も自分の容姿に相当自信があるのだろうね。きっと。 で、相手(加害者)よりも自分が上だと言うことを自覚したいから 悪口で他人を牽制。そんな図式。 所詮、自称なのに。 と、私なんかは考えてしまう。 本当のNo1なんて何処にもないんじゃないかな と。 今回はそんなズレタ妄想をしてみました。 今回の妄言はこれくらいで。また、更新サボります。たぶん。 久しぶりに書いたせいもあって文章にまとまりがないなあ。 ・・・夜、寝ながら色々考えたことを補足。 最たる原因は安易に「1番」になれる 方法が あることに気づいてしまったことかもかもしれない。 通常なら「1番」になんて簡単になれっこないから それほどこだわらないだろうし。 でも、簡単に「1番」になれるとなると話は別で 「1番」に対して固執してしまうのかなあ と。 やっぱり「1番」を目指す ってのは必要だと思うし。 簡単になれなきゃ 諦めるか ひたすら努力するか どちらかだと思うし。 「安易に1番になる方法」に大多数の人が気付くに至った要因は 色々あるだろうけれども。ね。 子供さん達だと TVゲームとか カードゲームとか そういうのも要因じゃないかな 「腕力」がなくても「魔力」があれば とか そんな感じ。 「簡単に1番になれる」って考え方そのものがおかしいのかもしれないけれど。 「自称」 ってことを認識してれば、そんなには問題ないんじゃないだろうか。 追記 今回はネチケットについては一切触れませんでした。 今後の課題です。 ネチケットを重んじることは大事だけれども。 ネチケットを重んじる余り、本音で話せなくなるのはどうかと。 そんなこと考えてたら妄想がまとまらなくなり文章にできませんでした。 #
by black_word
| 2004-06-04 02:00
| 妄想 思
本日の午前中に職場でとあるサイトを閲覧中に そのサイトの掲示板で知りました。 その直後は呆然としました。えっ て感じです。 その昔、私は岡崎律子氏のファンでした。 もの凄く好き とかそういう方では無かったのですが 面積の広いプレパラートのような感じ に惹かれていたのは覚えています。 岡崎氏のCD自体は ほとんど所有してはいませんが およそ11年前購入した デビューシングルの「悲しい自由」は今でも時々聴いております。 最近では「メロキュア」という名のユニットを組んで アニメの主題歌等、歌われていたようですが 私は最近の活動は一切知りません。アニメとかあまり見なくなったので。 それでも、突然の訃報を聞き 自分の中での何かが一つ欠けてしまったような気がしております。 何かまでは分かりませんし、大切なものかどうかも分かりませんが。 寂しく思ってることは確かです。 こんな私ではありますが 今夜は岡崎氏のCDを聴きながら ご冥福を祈らせていただきたいと思います。 #
by black_word
| 2004-05-12 21:50
| 告
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